2019年浮草的ドラマエミー賞

 
    【どこからともなく鳴りはじめたお囃子】
    え〜…わたくしが生まれる遥か前、いやちょっと前のあるラーメンのCMで【わたし作る人、ボク食べる人】という、放映以前の日本社会では通念として浸透していたキャッチコピーで放映したら、当時勃興しかけていたジェンダー論によって初の炎上そして放映中止になった事件がありまして。その結果「わたしという女性=作る人。ボクという人=食べる人」という従来の概念がこの現代ジェンダー運動により覆されて、その潮の勢いが現在のウーマンリブに至ったのですけども。今回の話はそんなイコールな概念方程式ではなく、キャッチコピーの主語と動詞をそれぞれ変えながら今年のドラマを振り返ってみるだけの話なのでどうかあしからず。
 
 
・『わたし弾く人、ボク弾く人』:うん、それは平等な話だ。といっても片方は婚式直前に婚約者にあっさり振られ店先のG線上のアリアでフラフラっとバイオリン教室に通うようなオトナの初心者だし、もう1人は兄の婚約者"だった"バイオリン講師への未練絶ちがたく、向こうの思いかまわずバイオリン教室の先生と生徒という別種の契約関係をほそぼそと続けているまだ青い看護学生といった按分。そこに世間的な「主婦」役割を果たす中年女性による初めての冒険が絡みだし、物語はちょっと上手い三重奏になってゆく。なので「わたし弾く人、ボク弾く人、あなたも弾く人」にでも直すか。
 
・『わたし作る人、わたし食べる人』:おっと危ない危ない…なのだが、そこに男女を区別する「ボク」は存在しない。中年を過ぎた同性同士によるひっそりとした"同居生活"の話なのだし、単純に美容師の彼がずぼらでテキトーに買い物されるのを、弁護士の彼が嫌ってる話なのだから。そんな2人が日々作り美味しく食べられてゆくテーブルを中心に彼らの一年の歳時記が進む。父親の入院、同じ性分なカップルとの交際、弁護士仕事で依頼者の世話を焼き、美容室店長の家族の問題にハラハラとする。そんな歳時記と共に食卓に飾る素朴にして安くて美味しい料理の数々。なので「わたし作る人、わたしウキウキしながら待つ人、2人で食べる人」にしっかり直すか。
 
・『わたし推す人、わたし推される人』:恋愛にも似たアイドルへの無償の愛、なのだが安易な男女関係なのではなく、(鼻っ柱が強そうな)女性社会人が(グループアイドル内で最も影が薄い)女性アイドルを"見つける"ことからこの話は始まる。ある時は"行き過ぎた"彼女のファンから身を守り、ある時は同僚にカミングアウトをしてでも身の潔白さをアイドルの彼女に示そうとし、またある時は彼女らがCMで出てくる玉子を沢山買い込んで1人ムシャムシャ食べ続けてゆく。そして推す彼女は…警察の取調室にいた。その日までに何が起きたかはドラマの醍醐味。なので「わたし何がなんでも推す人、わたし無償の愛に何もできないのがツラい推される人」なのかね。
 
・『ボク走る人、ボクストップウォッチで計る人』:今季の「いだてん」そして東京オリムピック噺を描くうえで、美濃部孝蔵という親孝行でもなく蔵を立てられないが、やけに「富久」が絶品だった噺家やその一家を話の横糸で盛り込みながら、金栗四三田畑政治という、陸上と水泳、男性が道をひらき女性がさらなる可能性をスポーツが見出していった半世紀余りを描いた今年の大河ドラマ。招致に燃える嘉納治五郎、休学してまでシベリア鉄道に乗った三島弥彦、駅伝で涙する岸清一、女子800mに燃焼していった人見絹枝、お守りを飲み込む前畑秀子、開会式の空に全てを賭けた盟友・松澤一鶴、懐刀として"最後"まで田畑を支えた岩田幸彰、ああそれと競技人間の主人公2人の奥さんのスヤさんと菊江さんにも触れなければ…。そんな多くの人間の理想や欲望をつめこみながら「ボク走る人、ボクストップウォッチで計る人、ボク志ん生の"富久"で涙する人」と直すか…。あっ、ドッチボールを広めた可児功の存在…。
 
・『ボクAVを撮る人、わたしAVに撮られる人』:おそらくコレが今年最大に怒られるんじゃないのかなとは思うけど、「全裸監督」主役の2人のまごうことなき"むきだし"の精神なのだからこのフレーズは仕方がない。1番エロという欲望に忠実に生き、途中禁欲的なツラの官憲やより欲望に暴力で支配する闇の住民たちをうまくかわし、…は出来ずに何度か逮捕されて懲役くらって塀の中で暮らしながら、欲望と新しいメディアだったビデオメディアにおのれの姿を組み込みハメ込む姿は、まさにNetflixという地上波と異なり分かりやすく限られた塀の中であっても、その輝きは世間に一瞬で届き、2019年8月は、そんな自由に暴れまくった彼らの凱歌をあちこちで聞いていたような気がする。なので「ボクAVを撮る人、わたしAVに撮られる人、みんな『全裸監督』を見る人」なのだろうな本当は。
 
    今年のドラマ界は「いだてん」と「全裸監督」のわかりやすい2強体制なのは、みんな知っての通りだが(…いやっ3位以下の作品とかギャラクシー月間賞を数々取っているのは重々承知だけど)。自分の中で2019年8月8日はNetflix(や様々な有料配信媒体)という新たなる開拓地が発見された記念すべき日としてゴシック体太字で書かれるべきだと思っている。「いだてん」は47回にわたりNHKの豊富な資産(人や予算)を投入して、(結局「ポツンと一軒家」に視聴率でボロ負けだったけど)後の世に受け継がれる優良コンテンツが生み出された、とわかってはいるけど、それでも"新大陸を発見した"大航海時代の船乗りのように生き生きとした「全裸監督」の熱演ぶりが"私の"作品賞になってしまったのである。(どうせ「いだてん」はドデカい賞をとっちゃいそうだし、「全裸」はここでこそ褒めなきゃいけないなとも)
 
    さて最後に対峙するのは人ではなく概念の世界。「地上波はできない媒体、ネット配信はできる媒体」という亡霊が、近年のドラマ界や果てはテレビ界で徘徊してるかのような印象をもつ一年であった。確かに地上波は見える見えないコンプライアンスによって放送直前に逮捕された人は出演時に遡って出られない。そんな中、ネット配信はそんなコンプラお化けをイッサイ排除して出演時のまんま演じきって酔わせてくれるのだから、亡霊におののくドラマ愛好家はネットに明らかに傾いてゆくのは道理なのだろう。そんな亡霊は来年あたり口先3寸で退治してほしかったりもするが、早くも来年の大河ドラマ麒麟がゆく」はもろにそんな亡霊たちに襲われてしまってるようで。その一方で、ネット配信は"欲望に忠実すぎる"側面があり、そちらの負の側面は来年以降より顕在化するのでは?とは思うが、それはその時に語るべきなのかな。そんなこんなで視聴率とコンプラの厚い鉄条網を越えながら、来年も良いドラマと地上波・ネット配信問わずより出会いたいものですな。ではまた来年。お後がよろしいようで…。(ドンドン)【またどこからともなく遠くから鳴ってきだしたお囃子】

 

 

○2019年のドラマ十傑

 

 

 

 

 

 

 

  •  ゾンビが来たから人生見つめ直した件(NHK・1月期土曜深夜ドラマ)

 

 

 

◎:作品 ●:主演男優 ○:主演女優 ▲:助演男優 △:助演女優 脚:脚本 演:演出)

 

 

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 (市原隼人は「おいしい給食」、黒木華は「凪のお暇」「みをつくし料理帖」、高橋和也は「日本ボロ宿紀行」、草刈正雄は「なつぞら」からの十傑作品候補外より選出)

 

・2019年ドラマ插入歌賞:桜庭龍二「旅人」(テレ東・日本ボロ宿紀行)


【日本ボロ宿紀行】「旅人」 / 桜庭龍二 PV 【テレビ東京】

 

 

(まとめリンク)

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